パートナーインタビュー
積み重ねてきた経験と柔軟な発想力で挑む、これからの建築
寒川建築研究所
高松市多賀町にある「寒川建築研究所」は、観光通りの北側に広がる閑静な住宅地の中にあります。
以前は「寒川商業建築研究所」として、高度経済成長期の地場産業を支える商業施設を、香川県下はもちろんのこと全国でも数多く手がけてきました。
現在は、商業施設に限らず、公共建築から医療施設、オフィスビル、一般住宅からインテリアまで、ジャンルを広げて活躍。その高いアビリティとスキルを維持してきた理由は、寒川建築研究所の歴史の中にありました。
お話を伺ったのは、3代目代表取締役所長の寒川洋次さん。意外にも、大学では日本建築を専攻し、茶室から寺社仏閣まで日本の伝統的な建築を学んだと言います。
「社会に出たら現代建築はいくらでも関わることができますが、今は伝統的な日本建築自体に触れることのできる機会がすごく少ない。一方、ニーズとして多いのはモダン和風で、そちらは素材や照明の組み合わせで何となく形になってしまいます。だからこそ学生のうちに日本の伝統建築についてしっかり学びたいと思いました」
寒川商業建築研究所の創設者である祖父の登さんは、昭和の日本の商業デザイン界を引っ張っていた立役者の一人。日本建築を取り入れた商業施設を得意としました。そんな登さんの右腕として、時代の流れを見極めた広い視点を持ち、商業施設以外の建物も積極的に手がけたのが、洋次さんの父徹司さん。その過程を経て、洋次さんが入社するタイミングで屋号から「商業」を取り、商業だけではない建築設計事務所へと舵を切りました。
洋次さんは、祖父や父から得た下積みと経験を元に、現在寒川建築研究所を任され、日本だけでなく海外にも活動の幅を広げています。
様々なジャンルの建築をこなす中で、近年多いのは福祉や医療施設の依頼。信用が第一とされる業種から多くの支持を受ける理由は、これまでの実績はもちろん、経験に基づいたノウハウを持っているから。それらを武器に、クライアントの希望に寄り添いながら、明確な収支計画と施設利用者の目線に立った使いやすさや、立地環境を考えた高いコストパフォーマンスを導き、数々の名建築を生み出してきました。
また、その確かな技術と提案力はコンペやプロポーザルなどで選定される公共建築においても、認められてきました。
中でも洋次さんが最も印象に残っているのは、高知県四万十市の道の駅「よって西土佐」なのだとか。高知県は四国四県の中でも建築に対する関心が特に高く、県産木や土佐漆喰などの地場産業を取り入れた建築を推奨するなど、地域活性に力を入れている県。洋次さんは本計画で「ストローベイルハウス」を用いた建築を完成させました。
「ストローベイルはアメリカ発祥の藁のブロック。『三匹の子豚』では、藁の家が一番ダメなものの代名詞みたいに扱われていますが、実は断熱性能がとても高い。かつて日本最高気温を記録したほど夏が暑い西土佐にはピッタリはまります。そのストローベイルを積み上げて、ワークショップで地元の子どもたちに泥を塗り込んでもらうことにしました」。
楽しそうに泥と戯れる園児たちの様子が目に浮かぶよう。
泥が乾いた後は土佐漆喰で仕上げるなど、高知の職人さん達とその土地ならではの伝統的な工法について話をしながらつくりあげたことも、良い経験になったと言います。
「今は伝統の技を残していこうという時代の流れがあります。それを自分事ととらえ、できるだけ伝統工芸が活かせる仕事を発注することで、職人の仕事を守っていきたいなと思っています。そしていつか、祖父から父、さらに僕や弟へと受け継がれた、寒川建築研究所の作風が残る集大成のようなものを作ってみたいですね」